元プロボクサー 長谷川穂積 ~チャンピオンが貫いた、ブレないスタイル

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2016年12月、プロボクサーとしての17年間の現役生活に終止符を打った長谷川穂積さん。
バンタム級・フェザー級・スーパーバンタム級の3階級制覇という輝かしい功績を残しました。

その強さは一体どこからくるのか、どのような気持ちで戦ってきたのか、世界王者のまま引退した今、何を思っているのか。 クールな雰囲気の中に確かな情熱を持つ長谷川さんが、自らのボクシング人生を語ります。

【ゲスト】

元プロボクサー

長谷川穂積

1980年12月16日生まれ。兵庫県西脇市出身。所属は真正ボクシングジム。

1999年にプロデビューしてから、第26代WBC世界バンタム級、第42代WBC世界フェザー級、第31代WBC世界スーパーバンタム級と3階級を制覇。バンタム級では10度の防衛に成功した。プロ戦績は41戦36勝(16KO)5敗。スーパーバンタム級王座を獲得した35歳9ヶ月は国内最年長記録となる。

【聞き手】

株式会社グラッドキューブ

代表取締役CEO

金島弘樹

金融業界を経て2007年に株式会社グラッドキューブを創業。幅広い業種のインターネット広告に関するコンサルティング業および広告運用を経て、インターネット広告代理店ならではの視点を活かしたサイト UI/UX解析・改善ツールのSiTest(サイテスト)を開発。あらゆる分野の解析を得意とし、その鋭い視点と先見性を評価され数多くの賞を受賞。

2017年から「Sports × AI × Analyze」というテーマでスポーツビッグデータのAI予想解析メディア SPAIA(スパイア)を立ち上げ、スポーツファンに新しいスポーツの愉しみ方を提供し海外進出も視野にいれている。

■ボクシングを始めたきっかけ

金島:そもそもボクシングを始めたきっかけはなんですか。

長谷川:父親の影響です。小学2年生の時に教えられたのがきっかけですね。

金島:ボクシングを始めた当時から強かったのですか。

長谷川:小学校の時から父親に「お前は人を殴るな。殴ると死んでしまうから」と言われていて、子供なのでそれを信じてたんです。だから小学校時代も全然人を殴らなかったんです。
でも中学2年生で初めて喧嘩した時に、思いきり殴っても相手は平気で、むしろやり返されました。その時に、自分にはまだそこまでの力はないんだと気づいてしまいましたね。

金島:中学校時代にはボクシングではなく卓球をやっていたそうですね。その後、本格的にボクシングに取り組んだのはいつ頃でしょうか。

長谷川:高校に上がってからは卓球をやめて、ボクシングもしてなかったんです。
でも高校3年生に上がる時に喧嘩をしてしまい、家出したことがありました。帰った時に父親と話し合い、そこでもう一度ボクシングを始めようかということになりました。なので、ブランクの期間は中学1年生から高校2年生までの5年ほどでした。

金島:ブランクを経て、高校3年生で本格的にボクシングを始めた当初はどんな感覚でしたか。

長谷川:とにかくスタミナがなかったですね。
中学3年生まで卓球をしていたので、知らぬ間に反射神経が鍛えられていたようで、パンチはひょいひょい避けられました。相手から繰り出されるパンチが遅く見えたぐらいです。ただスタミナがないので、2ラウンド目まで避けられるのに、3ラウンド目から避けられないとか、そんな状態でした。

パンチの技術はあったんですけど、その当時はどうしたらスタミナがつくのか分からなかったんです。練習してもつかないし、そこだけがわからなかった。

■プロデビュー、そして世界への挑戦

金島:プロの世界でもスタミナ不足が足かせになったのですか。

長谷川:実はプロテストも1回目は落ちてるんですが、それも原因はスタミナ不足だったんです。2回目のプロテストは3ヶ月後に受けたんですけど、3ヶ月間でスタミナがつくわけでもなく。その時はたまたま相手が弱かったので合格しましたね。でも、結局プロデビューしてからもスタミナはなかったんですよ。

長谷川穂積

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金島:確かに4回戦時代に2度の判定負けを喫しています。しかし、10度の世界王座防衛中は7度のKO勝利。経験を重ねて意識的にスタイルチェンジしたのですか。

長谷川:いや、無意識ですよ。毎回倒そうと思ってやっているわけではなく、たまたま倒れている感覚です。KOなんてものは交通事故と一緒なんですよ。交通事故って起こそうと思って起こすものじゃないですよね。勝手に試合の中で起こってくるものなんです。

金島:プロ20戦目のキャリアで世界挑戦。相手はWBCバンタム級王座を14度防衛してきたウィラポンでした。その時、不安や希望はありましたか。

長谷川:不安と希望の、どっちでもなかったです。僕がデビューした頃、ウィラポンがチャンピオンになり、そういう選手に勝ったら自分がチャンピオンになるんだとは思わなかったですね。ウィラポンと試合できるということだけで良かった。

金島:結果、3-0の判定で勝利を収め王座を奪取しました。その時はどんな思いでしたか。

長谷川:試合には勝ったけど、まぐれだった。たまたまあの時は僕の時間だったから勝ったのかなと思ってました。嬉しかったと同時に、当時はもうこれでやる理由はないと思っていました。

金島:そこから初防衛を経て2度目の防衛戦はまたもウィラポン。ここでは9回TKOで完勝のイメージがありました。

長谷川:1度目の対戦ではウィラポンは計量に失敗して、僕のことをナメていたと思う。でも2度目は本気。これは勝てないだろうなと、どこかで思ってる自分もいました。
ただ試合としては1度目の対戦の記憶がどこかに残っていて、やりやすかったかもしれないです。でも内心いっぱいいっぱいでした。僕としては、試合中は勝っているか負けているか分からなかったですね。

金島:10度の防衛の中で、ボクシングの本場である米国・ラスベガス進出を公言した時代もありましたね。

長谷川:いつかビッグマッチができるかなと考えていました。

金島:バンタム級からフェザー級へ、そしてスーパーバンタム級へ転向し、最年長で3階級制覇。引退の時期ついてはいつ頃から意識されていましたか。

長谷川:僕はフェザー獲って負けてからは自分のやめる場所をずっと探していました。結果、これ以上ない場所で身を引けたので、自分でもよかったなと思います。

金島:フェザー級からスーパーバンタム級への体重シフトは負担はなかったですか。

長谷川:それは大丈夫でした。バンタムからフェザーの時は重かったので体と力に違いを感じましたけど、スーパーバンタムの時はそんなに負担はなかったですね。

金島:ちなみにフェザー級とバンタム級の差を一般の皆さんにわかりやすく説明するとどんな表現が適当でしょうか。

長谷川:小型の普通乗用車と4トントラック(笑)。

■苦しい練習も「気持ち」があれば頑張れる

金島:かつてはスタミナ不足だったとお伺いしましたが、チャンピオンはどういう風にスタミナ不足を克服したのですか。普段の練習の積み重ねだとは思いますが。

長谷川:(デビュー直後は)どれだけ練習をしてもスタミナがつかなかったんです。なぜつかなかったのか。

ある時、6回戦時代にすごく強い選手に勝てたんです。実は4回戦時代に1度負けていて、その時は技術が原因だった。じゃあ次は気持ちで勝とうと考えていました。ボクシングの技術では勝てなくても、喧嘩では勝とうと思って。
そうすると、なぜか楽に試合が出来たんです。その時に、ボクシングというのは気持ちだなと。「絶対こいつに負けない」という気持ちがあればスタミナもカバーできるんだなと。

もう一つは、その時に「お前はスタミナあるから大丈夫や」と言ってくれた人がいたんです。それが暗示となって自信になりました。スタミナがないと思っているからない。同じ体力でもあると思えばあるようになる。言葉一つで変わることもあるんです。

そこから僕はスタミナがあると思ってやってます。苦しい練習をしても頑張れますし、しんどいところでも自分はスタミナがあると思ってやっていると、普通にやれてしまうようになりました。

長谷川穂積

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金島:その試合に勝った時から考え方が変わったということですね。

長谷川:そうですね。1度負けた選手に勝ってからは、スタミナがないと自分で思ったこともないし、言われたこともないです。

金島:その試合の前日、当日までは不安はあったんですか。

長谷川:ありました、ありました。正直な話をすると前回の9月の試合(ウーゴ・ルイスとのWBCスーパーバンタム級タイトルマッチで勝利し3階級制覇。これが現役最後の試合に)もスタミナには不安があったんですよ。

12ラウンド戦えるようにするためのスタミナをつける練習はするけど、どんな選手でも手数を出しすぎるとスタミナ不足に陥ると思うんです。試合中にチアノーゼ(酸素不足で顔面蒼白になる状態)になった時、心に余裕を持てるようになる経験は、練習することでしかできないですからね。

金島:酸素不足の状況でどう対処したのですか。

長谷川:デビュー戦の1ラウンド目に相手を倒せると思って手を出しすぎて、2、3、4ラウンドをチアノーゼの状態で試合してるんです。結果としては勝ったんですけどフラフラで、全然いい試合ができなかった。そのあと、同じような現象が東洋太平洋タイトル戦の2度目の防衛時にもありました。

3ラウンド目でラッシュを浴びせようと手を出し続けてしまい、それでも相手を倒せなくて顔面真っ青になりました。でもまだその時で3ラウンド。9ラウンドも残ってました。そこで4ラウンド目は、正直、手を抜いて回復に努めました。
そうすると5ラウンド目から普通に戦えたんです。むしろ一回ものすごく苦しい思いをしているので、4ラウンド目で回復したことによって、5ラウンド目からは普段より簡単に手が出せたんです。

それはなぜできたかというと、練習ですね。ちゃんと練習さえしていれば、実際に苦しい状態になっても少し休めばすぐに回復するんだと気づいた。
その当時は練習のインターバルもボクシングの試合と同様に、3分動いて1分休むというものだったんですけど、3分やって30秒休憩することにしました。そうすることで、練習でしんどいことをやっているから大丈夫なんだという気持ちになれました。

金島:試合までに体を作りつつ、対戦相手のビデオなども見て研究されるのですか。

長谷川:いえ、全然しないです。ひとつは見たら怖くなる、あとは見るのがめんどくさい(笑)。防衛戦なんてほとんどビデオで研究とかしないですよ。1分か2分見るくらいです。先入観が入って試合で対応できないのも嫌だったので。

相手がどうこうではなく、それよりも自分を高めることばかりしていました。ただ年齢を重ねて若さだけでは勝てなくなってきた時には、多少トレーナーに任せて、トレーナーの言う対戦相手のイメージで練習してました。

■ボクシングを続けてきた理由

金島:ボクシングにおいて、ランキング1位とチャンピオンには大きな違いがあると思います。王座防衛を重ねるにつれピンチはあったはずですが、チャンピオンはなぜ倒れなかったのか。その時、どのようなモチベーションでやっていたのでしょうか。

金島弘樹

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長谷川:チャンピオンになると自信がつきます。チャンピオンとランキング1位では違いが1ランクだけなんですが、全然違います。そこが大きな自信でした。
でも、チャンピオンの場合は引き分けでも防衛できるとはいえ、負ける時は負けますからね。僕が作った言葉に「練習は本番。試合はおまけ」というのがあるんです。練習だけは悔いなくやろうと。

金島:そういう考え方はなかなかできないことですよね。

長谷川:長くチャンピオンをしてきたから言えるんですが、僕自体がおかしいんですよ(笑)。中学、高校とボクシングが大嫌いだったのに、それでもなぜかやってきた。嫁と一緒にいたいがための口実でボクシング続けてね。

金島:奥様と同棲したいがために実家を離れて神戸に出てボクシングをしたというエピソードは本当なのですね。

長谷川:そうですね。ちょっと暇つぶしにジムに通っていただけですからね(笑)。

金島:最初は嫌いでもボクシングを好きになっていった。好きなっていったのはどういった経緯でしょうか。

長谷川:これは、完全に結果ですね。勝利を重ね、その結果を評価された。4回戦の時はまだ負けたりもしたので、そこまで好きというわけではなかったです。

6回戦からは1回も負けてないんですけど、それぐらいから好きになっていきました。負けないイコール人に評価してもらえますから。勝利して評価して貰う。嫁が評価して、親父が評価して、友達が評価して、ファンの方が評価して、日本中の知らない人までが評価してとなるほどに、中毒になっていきました。

金島:勝ち続けることによって自信をつけた。いつか負けるという恐怖はなかったのですか。

長谷川:全然ありましたよ。勝っている時って、「いつか負ける」と思いながら「多分一生負けへんやろな」と思ってますからね。
でも、ポロっと負けることがあるんです。 だって、負けるまでやるスポーツですから。自分がここで辞めると決めないと終わらないスポーツです。終わりのないトーナメントなんでね。

金島:勝ち続けていた日々の中、2006年にお母様の癌が発見された(2010年に他界)。元気づけようという気持ちもモチベーションになっていましたよね。

長谷川:そうですね、なりましたね。大きな力になったと思います。
僕が頑張ることで、母親も頑張る。自分が元気をあげているというのではなく、母の頑張ってる姿を見て自分がモチベーションをもらってました。勝った時には喜んでくれるじゃないですか。その笑顔のためだけにやっているところはありました。

■「ブレない」スタイルはどのように確立したのか

金島:現役晩年は、ネットでのマイナスな意見などは気にならなかったですか。

長谷川:いろんなメディアがありますが、それに左右されない気持ちを持っていました。いい時はいいし、悪い時は悪く書かれるのがメディアです。
ネットでの書き込みでは、最後の試合で9割9分僕が負けるという意見が多かったので、すごくモチベーションになりましたよ。めっちゃプラスになりました。もう一度、チャンピオンになってそのまま勝ち逃げしてやろうってね。

長谷川穂積

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金島:しっかりと自分のスタイルを貫いているなという印象を受けます。育った環境も影響しているのですか。

長谷川:親からの教育もあるとは思いますね。僕が自信を持って言えることは、これまで人の話をちゃんと聞いてきたということです。いい加減に返事だけをして中身を聞いてないというのではなく、ちゃんと自分の中で消化してきました。
ボクサーとして実績がない先輩からの言葉であっても、言ってもらったことは一度自分なりに考えてみて、やってみて、自分に合わなければやめる。やらないのは損ですし。

僕は今36歳ですが、その当時は解らなくても大人になって解ってくることもあります。
昔は全然、何も解ってなかったですけどね。アシックスと契約してるのに、会社に挨拶に行く時、ナイキの靴を履いて行ってしまったこともあるくらいですから(笑)。それぐらい何も解ってなかった時もあったんです。

金島:トレーニングに関しては、トレーナーからの指示に従う方法と自分で考えてやっていく方法のどちらが多かったのでしょうか。

長谷川:これは、完全に二つにわかれます。僕の場合は自分の経験でやります。トレーナーの言うことは1割、2割。指導を聞きすぎてしまって自分のスタイルが崩れてしまったりしたくないので。

自分のスタイルを最も知っているのは自分だと思います。そこが基本にあって、トレーナーの言葉はプラスアルファで考える方がいいと思います。自分のスタイルを変えるのではなく、自分にプラスになるような形に持っていった方がいいですね。

金島:(プロデビュー)当時は20代前半ですよね。そういうことは自分で気づかれたのですか。

長谷川:自分で気付いたというか、自分のスタイルはずっと、相手に打たせずに打つというものなので、そこは全然ブレなかったです。パンチをもらわずに当てるにはどうしたらいいか。スタミナをつけようとする、これもセンスだと思うんです。

パンチをもらわないようにと言っても限界はある。他の選手に僕みたいにパンチを速く打てと言っても、これも限界がある。ここもセンスなんです。ボクシングはほとんどセンスが占める部分が大きいと思っています。

金島:山下会長(所属の真正ジム会長)は技術面というよりも、選手を鼓舞することを得意とするトレーナーさんですよね。

長谷川:実は僕のトレーナー(山下会長)は素人なんです。ボクシングを一切、やったことがないので。
その人が世界チャンピオン、僕を育てたわけです。それはなぜか。一生懸命、一緒に練習してくれる。一緒にしんどい思いをする。そうやってトレーナーが頑張ってくれるから俺も頑張ろうと思える。そういうところがお互いにプラスになったというのはあります。

教える・教わる人間のどちらかが上になったり、「俺が育てた」となってしまうとだめ。お互い教わる状態が僕は良かったのではないかと思います。

金島:自分の信念を持ちつつ、相手にもプラスになるような関係を築くことが大事なのですね。

■もっと多くの人にボクシングを身近に感じてもらいたい

金島:今後、未来の長谷川穂積はどう動きますか?

長谷川:現状そこまでは動いてはいないんですけど、大きい街でボクシングクラブみたいなことをしたいと思ってます。
どういう活動ができるか分からないですが、野球やサッカーのように多くの人がボクシングに関われるような活動をしていきたいですね。ボクシングって全然人気がないですから。
それはなぜかというと、身近にないからですよ。個人スポーツとしては同じでも、水泳ならまだ皆さんの身近にあると思うんです。ボクシングが少しでも身近に感じてもらえるような活動がしたいですね。

金島:とはいえ、ボクシングは試合で死亡事故もあり得る危険なスポーツというイメージがありますよね。

長谷川:殴り合いのスポーツという認識ではなく体を作る、最低限、危険から身を守ることができるスポーツだと思ってます。

それと、これは自信を持って言えるのですが、ボクシングで作った体ほど美しいものはないと思っています。
マシンでのウエートなどで作った体はいい体になりますが、年齢を重ねると垂れてくる。ボクシングはボクシングのためのトレーニングだけで、一番きれいな筋肉がつくと思う。一般の人が知った時に、そういう体になりたいという人が増えればいいなと思います。

強くなる、スタミナつく、長生きできる。せっかく僕がこんなにいい形でボクシングを辞めることができたので、長谷川穂積が言っているから、という説得力があるうちに始められたらなと思っています。

金島:ジム開設ということですね。場所なども決めているのですか。

長谷川:プロボクサー養成のジムとは考えていません。場所は内緒です。誰もがなかなか手をつけない場所にと考えています。僕は昔から人と違うことをするのが好きなので。チャンピオンのまま辞めるという引き際も、大場政夫さん以来ですしね。

とにかく人と同じことをするのが嫌なんです。高校時代にポケベルを買った時も、あえてみんなが買っていない2つ前のモデルを買ったりとか、そういうところがあったんです。 今回のジム開設に当たっても、自分なりに絶対に大丈夫だというビジョンがあるんです。その通りいけば流行ると思います。2017年内にはオープンしたいと思っていますが、ダメならすぐ1ヶ月で閉めますよ(笑)。

対談

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(取材:金島弘樹、楊枝秀基 / 構成:SPAIA編集部 / 写真:近藤宏樹)

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